パワースポット戸隠神社参拝 その1 奥社穴場駐車場と鏡池から 紅葉伝説
長野在住の友人の家に遊びに行ったついでに
日本屈指のパワースポットと呼ばれる『戸隠神社』に参拝してきました。
戸隠神社について調べてみると
戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。
その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。
平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。
江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東叡山寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めました。
明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至ります。
戸隠神社 公式サイトより https://www.togakushi-jinja.jp/about/
天の岩戸が飛来ってどういうこと?て思ってさらに調べてみると
要は天の岩戸からようやく出てもらった、天照大神がまた、こもってしまっては困ると
岩戸をその怪力で開いた
天手力雄命が、岩戸を下界に投げ捨てて、おちてきたのが
戸隠山ということだそうです。
奥社駐車場(穴場)
今回は奥社に行ってきました。
奥社のご際神は先ほどの天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
まずは友人運転の車2台で奥社入り口無料駐車場へ
混んでるかな?と思い行ってみると、案の定無料駐車場は・・・
あれっ?どこ?
あとから調べてみると2016年8月より全部有料になったとのこと
ちなみに、駐車料金は1回600円
しかも、奥社第1駐車場は3時間までで、あとは1時間ごとに100円増しとのこと
(第2駐車場は1回600円)
素直に有料駐車場に停めるのかと思いきや
ここは地元民ドライバー同士、ちゃちゃっと話して、鏡池どんぐりハウスへ
ここは駐車場が無料で、絶景スポット「鏡池」のそば
ここから、歩いて35分で参道の随神門に出ます。
さすが、現役山岳会の友人、歩いても無料とります。
といっても、大鳥居から随神門も20分かかるので大差ありません。
なので、駐車場のお金をほかに回したいという方
是非、お勧めです。
鏡池
この日は5月だというのに暑い
標高1100mくらいなので、下界より6℃は低いはず、なのにTシャツ1枚で
駐車場からちょっと歩くだけで、見えてきました「鏡池」
ちょっと傾斜をおりて、池のほとりまで下りると
絶景撮影スポット
風がないと、まさに鏡のように戸隠の山々が水面に映ります
紅葉の時、また来たいな
ちなみに、行ったときは、ちょっと風があり水面も多少ざわついてましたが
それでも、こんな感じでした。
本当はもうちょっと粘りたかったんですが、友人を待たしてたもんで切り上げました。
天命稲荷
ここから天命稲荷を経由して随神門まで散策路が延びています。
鏡池から天命稲荷まではすぐ
ほどなくして鳥居が並んでいるのが見えてきます、ずいぶんと新しい感じでした。
天命稲荷について調べてみると
昭和37年のことも中社の近くに公明院というお寺があります。
実は公明院さんもかなりのパワースポットらしいです。
次回は是非行ってみたいと思います。
話を戻すと、そこの姫野公明氏が昭和37年8月14日、建立した五輪の供養塔の前で読経していると、突然「汝 必ず奉斎せよ 如何なる願望も叶うであろうと」おつげがあり、同年11月17日に遂に、この場所を見つけると、神の姿をした老人が現れて、自分を天命稲荷として祀れと言うので、その姿を石像にして神社を創建したそうです。
鬼女紅葉伝説
ここから奥社の向かって歩き出すと
向き合った男女の像が
なんでこんなところにポツンと
いろいろと調べてみると、杖を持つ女性は紅葉
戸隠の鬼女紅葉伝説の女主人公の美女紅葉
矢を持つ男性は、平維茂(たいらのこれもち)
紅葉狩伝説というのは信州戸隠、鬼無里に伝わる鬼女にまつわる伝説です。
いろんなサイトやブログでいろいろ書いてあるのでまとめてみると
937年(承平7年)のこと、 子供に恵まれなかった会津の夫婦が 第六天の魔王に祈り、
授かった 女児を呉葉(くれは)と名付けた。
呉葉は絶世の美女で、飛び切りの才女、琴の名手でした。
いろいろあって、家族と一緒に京に上った呉葉。
そのときすでに紅葉(もみじ)と名乗ってたようです。
ちなみに紅葉とかいて「くれは」と読めます。
初代清和源氏の源経基(みなもとのつねもと)の腰元から局となった紅葉が
経基の子供を妊娠するんですが、正妻を呪い殺そうとしたことが比叡山の高僧に看破され発覚、戸隠へ追放されてしまいました。
956年(天暦10年)秋、鬼無里に流れ着いた紅葉は、しばらくは村人たちにも尊ばれていたのですが、やはり都が恋しい。
そこで、山賊を配下にし都へ上る軍資金集めに、夜な夜な他の村を荒しに出るように
なったそうです。
この噂は戸隠の鬼女として都に知れて、都では紅葉征伐に平維茂(たいらのこれもち)を戸隠に派兵。
最初は笹平(ささだいら)に陣を構え出撃したものの、 紅葉の妖術に阻まれさんざんな目にあったそうです。かくなる上は神仏に縋る他なしと、観音に参る事17日、 ついに夢枕に現れた白髪の老僧から降魔の剣を授かり、戦いの最後は、流石の紅葉も敗れち、紅葉は命を終えます。
33歳の晩秋だったそうです。
(それぞれ、書いてあることまちまちで共通してるところ集めました)
今でも、鬼無里では毎年10月第4日曜日に「鬼女紅葉まつり」が開催されてるようです。
うーん
調べるといろいろとありますね。
その場では、出兵する旦那を見送る、嫁かなにか?位なこと思ってましたが、
まったく違いました。
この石像
散策路は続きます。
熊もいるそうです。水芭蕉まだ残ってました。
途中、バードウォッチャーの方々と多数すれ違いました。
このまま20分歩くと随神門に到着です
に続きます